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僕が18歳で初めて色覚異常に気づいた話

僕が初めて「自分と周りの人では、見え方が違うのかもしれない」と実感したのは18歳のときでした。現場監督として働いていた現場で、ぬかるんだ土の上に書かれた赤いスプレー文字を、そこにあると教えられても見つけられなかった経験を振り返ります。

この話で伝えたいこと
  • 本人でも、自分と周りの人の見え方が違うことに気づいていない場合があります。
  • 「そこに赤いものがある」と教えられても、意識して探せば必ず見つけられるとは限りません。
  • 安全に関わる場面では、色だけではなく、文字・形・位置・ロープなど別の手掛かりが必要になることがあります。

僕が初めて「自分と周りの人では、見え方が違うのかもしれない」とはっきり意識したのは、18歳のときでした。

それまでにも、色を間違えたり、周りと話が噛み合わなかったりすることはあったのかもしれません。

でも、自分が見ている景色は自分にとってずっと普通です。ほかの人の目を借りて比べることもできません。だから僕自身、18歳になるまで「自分は色の見え方が人と違う」と強く自覚していませんでした。

現場監督として働き始めた18歳のころ

当時の僕は、現場監督として働いていました。

ある現場で、地面は雨などでぬかるみ、土がむき出しになっていました。その土の上に、赤いスプレーで文字か目印が書かれていました。

ところが、僕にはそれが見えていませんでした。

そこに何かが書かれているという認識自体がないまま、その場所を踏んでしまいました。

「赤い文字がある」と教えられても、見つけられなかった

この経験で一番大きかったのは、最初に気づかなかったことだけではありません。

「そこに赤い文字がある」と教えられたあと、意識して探しても僕には見つけられなかったことです。

場所を知らなかったから見落としたわけではありません。

「この辺りにある」「赤い文字を探せばいい」と分かっている。それでも、ぬかるんだ土と赤いスプレーの違いを、僕はうまく手掛かりにできませんでした。

この経験は、僕にとって「注意して見れば分かる」という話ではありませんでした。注意する対象を教えてもらったあとでも、見つけられなかったからです。

このとき初めて「同じものを見ても、同じようには見えていない」と気づいた

それまでの僕は、色覚異常という言葉を自分の生活と結びつけて考えていませんでした。

でもこのとき、「周りの人には普通に見えているものが、自分には見つけられないことがある」と実感しました。

しかも、単に「赤を別の色だと思った」という話ではありません。

色の差が手掛かりにならないことで、そこに目印が存在すること自体に気づけなかったのです。

今振り返ると、この違いは僕の生活のいろいろな場面につながっています。赤い杭、花、ランプ、グラフなど、「色が違うから分かるはず」という前提で作られたものは、場合によっては僕には同じような手掛かりになりません。

僕自身の見え方については、「色覚特性の僕が見ている世界」でも詳しくまとめています。

「もっと注意して見ればいい」では解決できないこともある

この経験を説明すると、「先に赤い文字があると教えてもらえば、意識して探せるのでは」と考える人もいると思います。

少なくとも、このときの僕にはそれでも無理でした。

どこを見るか分かっていても、何色を探すか分かっていても、見つけられませんでした。

見え方そのものを、本人の努力で変えることはできません。

もしその場所が「絶対に入ってはいけない」「踏んではいけない」といった安全上重要な場所だったなら、僕の場合は赤いスプレーだけでは足りません。

例えばロープで範囲を囲う、立体的な目印を置く、文字や形でも意味を示すなど、色とは別の物理的な手掛かりが必要だったと思います。

これは「すべての色覚特性のある人にロープが必要」という意味ではありません。僕自身のこの経験では、色の違いだけを手掛かりにする方法では判断できなかった、という話です。

本人も、自分の見え方の違いに気づきにくい

僕がこの経験から強く感じたのは、色覚特性そのものだけでなく、本人もその違いに気づきにくいということです。

自分が生まれてからずっと見てきた景色を、「これはほかの人と違う」と自力で判断するのは簡単ではありません。

周りの人が同じ場所を見て、当たり前のように何かを見つけたとき。自分だけが見つけられないとき。そういう具体的な出来事があって、初めて差に気づくことがあります。

色覚異常についての基本的な仕組みや検査については、「色覚異常とは? 当事者の実体験と一緒にわかりやすく整理します」でまとめています。

今でも「存在に気づきにくい」場面はある

18歳のときの出来事だけで終わったわけではありません。

仕事では、背景に紛れた赤い杭が見つけにくいことがあります。色の名前を答えられないというより、目印として存在していること自体を拾いにくい感覚です。

その経験は、赤い杭についての記事でも詳しく記録しています。

この話を伝えたい理由

色覚異常というと、「赤と緑を間違える」「色の名前が分からない」といった説明になりがちです。

でも僕の場合、それだけではありません。

色の差を手掛かりにできないことで、物や表示の存在そのものに気づけないことがあります。そして、その場面では「もっとよく見て」と言われても解決しないことがあります。

18歳のときの赤いスプレー文字は、僕にとって初めてその違いをはっきり理解した出来事でした。

もし誰かが「どうして見つけられないのだろう」と感じる場面があったら、注意力だけの問題と決めつける前に、「もしかすると、自分と同じようには見えていないのかもしれない」と少しだけ考えてもらえたらと思います。

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この記事は筆者本人の実体験をもとに書いています。色の見え方や、同じ場面で何を見分けにくいかには個人差があります。